株のことやら何のことやらマターリマターリ
株の事やら日々の出来事・懐かしい思い出など思いつくまま勝手気ままに書いています。
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Author:yosakajyu
笛吹き童子や紅孔雀が始まると(ラジオ放送)遊びを止めて家に飛んで帰った子供時代を過ごした団塊世代です。
高度成長時代を慌しく生きてきましたが、今は妻と穏やかな毎日を送っています。

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子供は残酷です
2008/06/13 23:51 [Fri]
category:思い出
振り返ってみると、私が小学生の頃は残酷な事をしていました。

例えばトンボの胴体をちぎってしまい、胴体の代わりに同じくらいの太さ・長さの麦の茎(天然のストローです)を刺して離すとバランスが取れているので飛んで行きます。

同い年だったか少し年上だったかは忘れましたが、目の前でそのような事をしたのを何度か経験しています。

最初に見たときは、胴をちぎり取る行為が気持悪く感じましたが反面、胴が無くても麦わらストローを刺せば何事も無かったかのように飛んでいくのを不思議な感じで見ていました。

トンボはやがて死んでしまう訳ですから、可哀想に思う気持も有りながら面白いと感じる矛盾した精神状態だったのだと思います。

その他、蛙のお知りから麦わらストローで空気を注入して、お腹をパンパンに膨らませてみたりと言う事も有りました。

さて、子供の頃にトンボの胴体をちぎって麦わらストローを刺して遊んだ人が残虐な性格の大人になったかと言うと、そんな事は有りません。

全く有りません、と自信を持って言えます。

何故なら、トンボの胴体をちぎり取る遊びが長く続いたわけでは無いからです。たぶん、その子は誰かから麦わらストローを刺して飛ばすことを聞いて、面白半分に実行に移したのでしょう。

でも、トンボが可愛そう・自分の行為は残酷だと感じて、その遊びを続ける事はしなかったのだと思います。

私の年代は、子供の頃に昆虫や蛙等に対して残酷な遊びをしたり、それを見たりして残酷と感じ、可哀想と感じる事で、そのような事をやらなくなると言うように、自然から学んでいたような気がします。

蛙の解剖だって小学校の高学年では当たり前に理科の授業で実施していました。
解剖に使用した蛙は当然死んでしまいますが、自分たちの勉強に役立ってくれて死んでいったと先生から説明があり、土に埋めて弔った記憶が有ります。

今は幼少期に、そのような経験をする事も無く、バーチャルでの経験しか無いために平気で残虐な事件を起こす若者が多いのではないかと思わずには居られません・・・

昆虫などでの残虐行為ではなく、いきなり人間に対して・・・・と、なっているのでは?

最近の残虐事件を目の当たりにして、何が原因かと考えた団塊世代の呟きでした

殴られれば痛いし、ナイフで刺せば死ぬんだよ。
殴られたときの痛み、ナイフで指を切ったときの痛みを子供時代に経験していれば・・・・


そういえば、蛙の解剖は何故に授業でやらなくなったのでしょう??
東京オリンピック
2008/06/03 20:41 [Tue]
category:思い出
昨日、久しぶりに実家に行ってきました。

振り返って見ると5月は忙しい月でした。第一週の休みは妻の実家の埼玉に、二週目は長男の購入したマンションの内覧会で横浜に、三週目は孫娘の小学校の運動会を見に横浜へ、四週目の休みは長男の嫁の安産祈願のお守りを求めて雨引観音へ・・・・

そんな状況だったので、車で5分ほどの距離にある実家にも二週間ほど行っていませんでした。

実家に行ったら、母親が「こんなものが出て来た」と言って小さな箱を2つ持ってきました。
蓋を取ってみると、一つには東京オリンピックの記念メダルとバッヂ、もう一つの箱には東京オリンピックの記念硬貨の千円硬貨と百円硬貨が入っていました。
medaru.jpg

メダルの購入の経過は忘れましたが、千円硬貨は高校2年の時に発売日当日の一時間目の授業をサボって近くの郵便局を二箇所回ってやっと手に入れた事を思い出しました。

東京オリンピックと言うと、重量挙げの三宅義信、東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボール、マラソンの円谷幸吉、体操男子の遠藤・小野などが直ぐに思い浮かんできます。

確か金メダルも沢山取ったような気がします・・・・
P6030145.jpg

調べてみたら、アメリカ、ソ連に次いで3位でした
今の若い人達には想像も付かないかも知れませんね。日本はスポーツでも世界トップクラスだったんですよ^^

その後、体操もバレーボールも低迷しましたが最近になって復調してきたようですね。
何事にも隆盛期と衰退期があるのでしょうか?

災害の影響が懸念される北京オリンピックですが、日本人の活躍を期待したいですね

東京オリンピックの思い出の品を見て、北京オリンピックに対して俄然興味が出てきました^^
玉置浩二と同じでした
2008/04/03 22:45 [Thu]
category:思い出
45歳位の時に、急に体調が悪くなり急患で病院に行くと「憩室炎」と診断されてしまいました。

大腸の壁に凹みが出来ていて、そこに便が滞留して炎症を起こす病気で凹みが腸に出来た部屋⇒休憩室と考えて、休憩室の炎症⇒憩室炎と名づけられたようです。

腸にバリウムを注入してレントゲンを撮ったところ、数箇所の憩室が見つかった為に憩室が発生している部分の腸を切り取りました。

そのときに一ヶ月ほど入院しましたが、同室の染谷さん(当時65歳位かな)と言う人が大変ユニークな人で、退屈な入院生活を少し楽しくしてくれたのです。

その人も腸の病気で既に二ヶ月以上入院しているそうですが、病院食以外は禁止されているのにお正月だからと言う事で個室の病人と共謀して、近くの食品スーパーで鍋と肉とコンロ・お酒を買って来て個室ですき焼きをつつきながら一杯やっていたそうです。
jp_04.jpg

結局は看護婦さんに見つかって全て没収となったようです

そんな前科を持つ染谷さんが、禁止されている饅頭を病室で食べていました。
私は本人の体調を気遣って看護婦さんにその事を教えたのです。
manjyuu.jpg

暫くすると回診の時間となり看護婦さんを2人連れて先生がやってきました。

先生「染谷さんお饅頭食べたでしょう」、染谷さん(先生に背を向けて横になったままで)「食ってねーど」、先生「染谷さん、私の目を見て答えてくれる?食べたでしょ」、染谷さん(仕方なく先生のほうに向き直り)「エヘッ!食った!」・・・・

このやり取りを斜向かいで聞いていた私はお腹の傷が痛いのも忘れて爆笑してしまいました
勿論、先生や看護婦さんも大爆笑でした。規則破りの常習犯にしては純朴過ぎるよー。

染谷さん語録「俺は病院の人気者なんだ。本当だど、先生も看護婦さんも俺の事知らねえ人は居ねえど」・・・・それは、あなたが規則破りの常習犯で有名だからでしょ!私は心の中で、そう言いながら聞いていました。

辛い入院生活もそんな染谷さんのお陰で少しは楽しく過ごす事が出来ました。ありがとう
退院した後で何の病気か聞かれても説明に苦労しましたが、暫くすると玉置浩二さんが同じ病気で入院したとのニュースが流れました。

それからは人に聞かれると、玉置浩二さんと同じ病気ですと答える事にしました。


今は看護婦さんとは呼ばずに看護士さんと呼ぶんですね。男女雇用機会均等法か何だか知りませんが女性は看護婦さんのほうがしっくりきますね。


[−続きを読む−]
赤い食べ物・・・今は?
2008/01/23 23:45 [Wed]
category:思い出
ふと思い出しました。
そういえば小学校の低学年の頃、今から半世紀前(50年も前になるのか)になりますが、赤がえるやアメリカザリガニを食べていました。

ザリガニは自分では食べた記憶が有りませんが・・・何故かというと地元茨城ではザリガニは鶏の餌として与えていましたので、人間の食べ物と言う感覚は無かったようでした。

そんな時代の事、東京から引っ越してきた人がザリガニを鍋で茹でていました。
茹でている湯気からは美味しそうな匂いが漂ってきたのを覚えています。考えてみれば海老と同類でしょうから食べても美味しかったのかもしれません。

日本ザリガニは薄い青色で小さいのに比べ、アメリカザリガニは大きくて真っ赤な色をしていたので「まっかんちっかん」と言って喜んだものです。

さて、赤がえるですが、これは食べた事が有ります
赤蛙は食べると美味しいと聞いていたので一度食べてみたいと思っていました。

そんな時に住まいの裏手にあった畑で赤蛙を捕まえました。
母に見せると足が食べられるというので、足を切り取り指の付け根を両方に引っ張って皮をむいて七輪で焼いて醤油をつけて食べました。

残念ながら美味しかったのかどうかは覚えていません。何しろ半世紀前のことですから

蛙の足を切り取って皮を剥ぐなどと恐ろしい・・と思ってしまうかもしれませんが、当時は普通に誰でも出来ましたよ。

有名音大に行った可愛い女の子も平気で皮をバリバリと剥いで焼いて食べていました

amerikahayasi[1]
マッカンチッカンのアメリカザリガニ
00113-1[1]
美味しかった?と思う赤蛙。背中に乗っているのはオスの蛙でしょう。


昔の人はたくましかったなあ?私も昔の人?

[−続きを読む−]
母方の祖父は宮大工でした
2007/12/06 23:58 [Thu]
category:思い出
祖父の印象は小柄で鼻の下にちょび髭を生やしていた事と、お酒が好きだったなあと言う事でしょうか。

車でも40分位の距離を自転車でやってきて(50年以上前の事です)母にお金を渡して、夏であればかつおの刺身を買ってこさせて、美味しそうにお酒を飲んでいました。

娘の家で飲むお酒は、さぞかし美味しかった事でしょう。
私も小遣いを貰えたので大好きなお爺ちゃんでした。
今では私が3人の孫のお爺ちゃんになりましたが^^

その祖父が宮大工だったという事は母から聞いていましたが、祖父が建てたと言う神社に今年の春に初めて行ってきました。

小さな神社ですが、昭和9年の建立ですので73年の歳月が経っていますが、建売住宅のような安普請ではありませんので私には築後10〜20年位にしか見えませんでした。

宮大工と言うのは、確かな腕前だけではなく教養も身につけていたそうで、祖父もお茶・お花をたしなんでいたそうです。

今ではお茶もお花(生花)も女性の習い事になっていますが、昔は武将が嗜んでいたんですよね。

出来る事なら酒を酌み交わしながら祖父と語り明かしたいものです。
私もあの世とやらに行ったら、この夢を実現出来るのでしょうか。

それには40年ほどかかりそうです。何故って?100歳までは生きるつもりでいますので。

祖父が建てた神社です


昭和9年の建立で名前も彫ってあります


長生きの秘訣はくよくよしない事、のようです。ストレスに負けずにマターリとしましょう。

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